精神科医に物申す
障害者手帳をもらいました。
外出が困難で、障害者枠の在宅ワークを探しているため、応募書類として必要なだけで、他には何の使い道もありませんし、何の価値も感じません。障害等級は2級だったため、私の英検3級よりも上なのかと苦笑しました。
改めて、人を障害者と位置付けることへの違和感を感じざるを得ませんでした。精神科医から障害名を貰えば、もれなく誰でも障害者になれます。私が以前、些細なことで落ち込んで精神科を訪れた際には、鬱病という病名をいとも簡単に貰うことができました。
精神科医とは言うものの、人の精神を視ることなどできる訳がありませんし、心療内科と言っても、人の深い心を視ることなど不可能です。しかも、短時間の会話だけで、医師に一人の人間の何がわかるというのでしょうか。
精神科医も人間です。その医師が正しい判断をしているかどうか、そこを見極める最終的な判断は、私たちにあります。私は昔、ヒステリーを起こし罵倒をしてきた精神科医に泣かされたこともありますし、また、私が医師に打ち明けた症状を待合室で大声で話されたこともありました。医師は人間として偉い訳ではなく、医大にて医学を学んで資格を持っているという人物です。精神科医を妄信しないように気を付けていただきたく思います。
そして同じ症状でも、医師により名付ける病名が違うということは、診断名は明らかにその医師の主観です。また、人に障害名を付けること自体、人が人を裁くようなもので、その人にレッテルを貼るような行為であり、ある意味、差別だと感じてしまいます。障害名を貰うことにより、安心される方もいらっしゃいますが、医師から障害者だと言われることにより、ご自分が障害者であるという意識が強くなり、そこに捉われ、悩んでしまわれている方も多く見受けられます。
私は、障害者と健常者のボーダーラインは無いと思っています。もしあるとすれば、精神科に行くか否かの違いです。いわゆる健常者と呼ばれる方々も、生きている限り、誰しも悩みを抱えています。そして精神科医はその悩みに次々と病名を付けていくのです。精神科医が人に病名を付け、薬を処方することは、私に言わせれば、合法的な詐欺と呼べるに値するものであり、精神薬についてはここでは述べませんが、「この薬を飲めば精神病が治ります」と「この壺を買えば幸せになれます」が同じように聞こえてしまいます。
辛さや苦しさは、病名を貰うことでは解決しません。いわゆる障害か否かは問題ではありません。目的は、悩みを解決することだということを忘れないでいただきたく思います。
私は、「強迫性障害相談ダイヤル」にて活動をしており、その名称を変更したい気持ちを持ち続けてはいるのですが、ビジネス上、また、悲しくも共通認識用語として、今はまだ変えることができません。しかし、ご相談者様を障害者として捉えてはいなく、一生懸命生きていらっしゃる一人の人間として接し、魂という観点からも視て、ご相談に乗らせていただいております。
精神科や心療内科は、「何ができないか診断所」のようなものです。私は、「何ができるか診断所」を設立したいくらいです。そして、皆さまが存在していらっしゃることに対し、もれなく1級を捧げたいと思います。
marie
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