ヒトノココロ研究所

強迫性障害者と呼ばれて

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私が最初に精神科に行ったのは、当時付き合っていた人と別れて辛かった、という理由からです。強迫性障害を発症するよりもずっと前の事です。その頃は精神科というものが一体何なのかを全く知らなかったにも関わらず、なぜ精神科に行ったのかわかりません。

 

その時、精神科医は私に、鬱という診断を下しました。私は、強迫性障害を発症した後、本当の鬱を経験しましたが、当時の単なる落ち込みとは、全く別の感覚です。両親を亡くした時でさえ、鬱との診断はされていないというのに、何を基準に鬱という病名を付けているのか全く理解できません。泣いているか否かでしょうか。そうだとすれば、確かに、両親を亡くした直後は涙も出ませんでした。

 

人の心はとても深淵なものです。たかが数分話をしただけの精神科医が、いとも簡単に人に病名を付けることに対し、非常に疑問を抱きます。障害者差別以前に、人に障害名を与える事自体が差別と言えるのではないでしょうか。そもそもその精神科医自身が病んでいないのか、こちらも精神科医を見極める必要があります。私の通っていた病院の精神科医は、私が医者の思うように薬を飲まないことに対し、私が泣くまで罵倒しましたが、そのような人間の診断を信じる義務は全くありません。医者だからと言って、決して偉い訳では無いのです。

 

しかし、世の中には、病名を貰うことにより、安心する方もいます。精神疾患なのだから、苦しいのも仕方が無いと、どこか許された気持ちになる場合もあるでしょう。病名を必要とすることは自由ですが、その疾患名の下に安住してしまっている方もみられます。しかし、「私は鬱だから」、「強迫性障害だから」と言っていても、苦しい症状は治りません。目的は、病名を授かることでは無く、辛い症状を改善することなのです。

 

私のカウンセリングは「強迫性障害相談ダイヤル」という名称のため、ご相談者様もよく、「強迫性障害と医者に言われました」とか、「強迫性障害との診断はされていません」など、障害という診断の有無を気にされますが、私は、「障害か否かはどうでも良いことなので、辛い症状を改善しましょう」とお伝えしています。強迫性障害と診断された方と強迫傾向の強い方の明確なボーダーラインなどありません。精神科に行きさえすれば、障害名など簡単に貰えるのですから。私は、すぐにでも屋号を変えたい気持ちです。

 

SNSなどにおいて、「私は強迫性障害です」のように自己紹介をなさっている方は多いですが、思わず、「あなたはあなたです」と言いたくなってしまいます。もちろん、日本語と英語の表現は違いますが、せめて、「I am OCD」では無く、「I have OCD」という感覚でいていただきたく思います。

 

「強迫性障害」という言葉を共通認識として使うのは致し方無い事ですが、強迫性障害であることを、ご自分の肩書きのように、うっかり名刺に書いてしまうのではないかと心配する程、アピールなさっている方もいます。SNSにおいて、同疾患の方と繋がり、前進するために励まし合うのは良いのですが、安心を得るためだけの傷の舐め合いのようにはならないでいただきたいと感じます。

 

私たちは、強迫性障害者である前に、一人の人間です。これだけは絶対に忘れないでください。障害は私たちのアイデンティティではありません。強迫性障害が日常においてどんなに辛いかは痛いほどわかりますが、私たちは、家族や大切な人がいたり、仕事があったり、趣味があったり、また、好きな食べ物があったりなど、豊かな人間性を持っています。自己紹介の100番目に、強迫性障害という言葉が出てくるくらいで良いのです。

 

強迫性障害の存在を小さくするためには、ご自分の存在がいかに大きいかということを、どれだけ認識できるかに懸かっているのです。

 

marie

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