ヒトノココロ研究所

応募した小説

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以前、ある芥川賞作家が、「食」をテーマとした4千字の小説を募集していたため、応募したのですが、案の定スルーされました。

 

小説を書いたのは生まれて初めてですが、売られた喧嘩は買ってしまう性なのです(笑)。

 

よろしければ、行き場のないこの小説を読んでやってください。

 

 

 

『akari』

                                                                                                   marie (マリエ)

 

 

    赤。

 

    その色は、誰でも生きていれば無意識に目にしているであろう。花、洋服、車、信号、ボールペン、数え上げればきりがない。

    英子は、赤いものだらけのこの世に生まれきてしまったことを悔やんでいた。自分の体内に赤い血が流れていると思うと、死にたくさえなった。

 

 

    英子の母は専業主婦であり、父は大企業のエリート社員で海外を転々としているため、ほぼ家におらず、実質、母子家庭のようである。母は一人っ子の英子が幼少期の時から厳しく、言わば「毒親」であった。子供は自分の所有物だと思い込んでいるであろう証拠に、いつも英子の意思をことごとく無視し、英子が楽しんでいる時には必ず邪魔をしてきた。幼稚園の時は英才教育のスクールに連れて行かれ、結果、「お受験」に合格し、大学までストレートで進学できる、私立の有名な小学校に入れられた。小学生時代は友達と遊ぶことさえろくに許されず、ピアノ教室や塾に通わされてきた。そして気づけば中学を卒業し、今年の春、英子は高校生になった。

 

    あれは忘れもしない、中学二年生の五月、英子は母に、学校の吹奏楽部に入りたいと恐る恐る尋ねてみた。すると母は、「無駄なことに時間を使っている場合じゃないでしょう、そんな暇があったら勉強しなさい」と、英子の願いをあまりにも安易に却下した。さすがに英子も腹が立ち、「私の人生なんだから勝手でしょ」と言い返したが、「どうして親の言うことを聞けないの!」と母はヒステリックに激怒し、赤いマジックペンを持ってきて、英子の左の手の甲に大きなバツ印を書いた。英子は傷ついたと言うより、魂が抜けたようになり、しばらくの間、口も聞けず身動きも取れなかった。

 

    赤いマジックペンは油性だったのか、手を必死で洗ってもしばらく消えることはなく、自分の左手が目に入る度に、英子の頭の中では母の怒声が響き渡った。

 

    それから約一週間が経ち、手の甲はきれいになったものの、奇妙なことが起こるようになった。ある日曜日の昼食に、母がオムライスを作ってくれた時のことである。冷酷な母が作ったとは思えない、温かくて美味しそうなオムライスには、ケチャップがかかっていなかった。英子はテーブルの上に置いてあったケチャップを手に取り、オムライスにかけたのだが、その時、何かの拍子でケチャップが指に付いてしまった。すると、突然動悸が激しくなり、強い恐怖心に襲われた。英子は自分に何が起きたのかもわからず、急いで流しに行き、石鹸で何度も手を洗った。五分ほど洗い続けると気持ちが少し落ち着いてきた。そうして何とかオムライスを半ば飲み込むようにして食べ切ることはできたが、当然ながら母にこの出来事を打ち明けることはできなかった。

 

    その数日後も、朝食でプチトマトが出てきた時には緊張が走り、トマトを噛んだ時にその水分が跳ねて手や体に付かないか、ハラハラしながら食べねばならなかった。

 

    赤色の食べ物に対する恐怖心は日々酷くなり、英子の大好きな、苺ジャムのトーストでさえ触れることが怖くなった。手に取って食べざるを得なかった時には、トイレに立つ振りをして洗面所で入念に手を洗った。赤い果物や野菜は意外と多い。例えば、苺をはじめ、ウサギ形の皮のついたリンゴ、スイカ、さくらんぼ。野菜なら、トマトはもちろん、赤パプリカ、ラディッシュ。家族で寿司を食べに行った時は、マグロなど見るのも嫌だった。夕食がキムチ鍋だと知り、体調が悪いと言って自分の部屋にこもっていたこともある。

 

    このような事態になるまで、英子は食べ物の色など気にしたことなどなかった。しかし今では、赤い食べ物が手に触れてしまったら、その手を何度も洗わなければ気が済まなくなり、それらを口に運ぶ際には唇に触れないよう注意しながら、味わう余裕などなく、必死で食べねばならなくなった。英子にとって、食事は恐怖と化した。

 

    遡って考えてみると、母から手の甲に赤いバツ印を付けられた頃から、この奇妙な症状が現れ始めたように感じる。赤、という共通点はあるものの、なぜ赤い食べ物に対して嫌悪感を抱くようになっしまったのか、さっぱりわからない。しかし、母にはもちろん、誰にも相談することなどできなかった。 きっと頭がおかしいと思われるだけであろう。

 

    いつか治らないものかと根拠のない期待をしていたが、半年経っても治るどころか、更に悪化していった。恐怖の対象は食事だけではなく、日常生活にまで及ぶようになった。赤い洋服や靴下などの赤い衣類を身に付けることができなくなり、中学の教科書の赤い文字やイラストさえ怖くなった。ある日、授業中にプリントの端で指を切ってしまい、英子の指にわずかに赤い血が滲んだ。英子は授業が終わるとすぐに手を洗い、絆創膏をもらいに保健室に行ったが、保健室の先生に本当の理由を言うことなどできなかった。親しい友人には何度も打ち明けようとしたが、変な目で見られることが怖く、結局誰にもバレないように、学校でも毎日を孤独な思いで過ごした。

 

    自宅、学校、通学途中、どこに居ても視界に赤いものばかりが入ってくる。どうして世の中はこんなにも赤いもので溢れ返っているのか。世界から赤が無くならないのであれば、自分が消えてしまいたい、英子はそう願った。

 

    ある土曜日の昼食は、英子の大好物のペペロンチーノだった。ニンニクの香りが食欲をそそり、英子は食卓についた。しかし、まず目に入ったのは、輪切りにされた鷹の爪である。うっかりしていた。急に食欲がなくなったとも言えず、覚悟を決めて食べ切った。食後、口直しにデザートが食べたくなり、冷凍庫を開けると、そこには英子の大好きなストロベリーアイスクリームがあった。しかし、そのアイスクリームには赤い苺の果肉が入っている。食事で疲れ果てていた英子は、諦めて冷凍庫を閉じた。

 

    もう限界だった。人間は食べずには生きられない。美味しい食事は人を幸せにする。食べることが苦痛になるなど、生きる大きな喜びを失ったも同然である。まだ中学生の英子は他に術もなく、気が狂ったと言われる覚悟で母に全てを打ち明けた。母は英子の話を黙って聞いていたが、最後に淡々と、「病院に行きなさい」とだけ言った。

 

    あのような母にでも、この話を聞いてもらえたことに英子は安堵感を覚えた。週明けに母と病院に行くことにはなったが、赤い物が怖い病気などある訳がない、一生治らないと言われたらどうしよう、と不安にもなった。

 

    月曜日の朝、母は英子の学校に、熱が出たから休ませると電話をした後、バスで英子を病院に連れて行った。そこは心療内科と書かれた小さな病院であった。名前を呼ばれ、母と一緒に診察室に入ると、中年の無表情な男性医師が立派な椅子に座っていた。その医師は、「どうされましたか?」と若干横柄とも取れる態度で聞いてきた。英子に代わって母が説明すると、その医師は、脳内のセロトニンがどうとか、自動思考がみられるなど、慣れた口調でよくわからない説明をし、最後に、「強迫性障害ですね。薬を出しますので飲んで様子を見てください」と言った。英子は「障害」という言葉を聞いてレッテルを貼られた気分になったが、一方で、自分は気が狂ったのではなく病気なのだと、どこかほっとした。

 

    その晩から、藁にもすがる思いで薬を飲み始めた。しかし、薬を飲むと強い眠気に襲われるだけで、一週間飲んでも、一ヶ月飲んでも、赤い物に対する恐怖症はいっこうに良くならず、酷い眠気のせいで授業中も居眠りをしてしまうため、母にも相談し、薬を飲むことを止めざるを得なくなった。薬で治るかも知れないという期待をあっさり裏切られ、英子は希望を失った。

 

    自分の娘が障害を抱えていると知り、さすがの母もどことなく優しくなった。学校から帰ると、母は以前より柔らかい表情で「おかえり」と言ってくれる。毎日の食卓に赤い食材が並ぶことがだいぶ減ったのは、母の気づかいであろう。英子は母が自分を思いやってくれることが純粋に嬉しかった。母は特別に温かい言葉をかけてくれる訳ではなかったが、母の愛のようなものを生まれて初めて感じた。母は英子を愛していないのではなく、愛情表現の苦手な不器用な人間なのだと、中学生ながら英子は思った。

 

    中学二年生も終わりにさしかかっていた。英子は赤い食べ物や日用品などはいまだに苦手ではあったが、いつの間にか、赤い物に触れた後に手を洗う時間が減っている。母の作る料理から赤い食材が完全に無くなることはなかったが、英子は、「少しずつチャレンジしてごらん」という母からの応援の声が聞こえた気がした。英子は、サラダに入っているトマトなどを緊張しながらも頑張って食べ、できるだけ味わうように努力した。怖いけれど美味しい、複雑な感情だったが、どんなに赤かろうが、美味しいということだけは確かであった。

 

    三月三日、雛まつりが英子の誕生日である。誕生日と言っても、毎年、母は近所にある同じケーキ屋から同じケーキを買ってくるので、それを黙々と食べるだけだ。今年もその誕生日が来た。夕食後、ケーキを切り分けながら、母が小さな声で「誕生日おめでとう」と言ってくれた。一瞬耳を疑ったが、英子は「ありがとう」と答えた。今年も恒例のケーキで、それは、大ぶりの苺の乗ったショートケーキである。切り分けられたケーキの上に乗っている鮮やかな赤色の苺は、もはや英子の敵ではなく、母の愛そのものであった。こんなに美味しい苺を食べたのは生まれて初めてだった。ケーキを食べ終えると、母は「はい」と、リボンで結ばれた白い小さな箱を手渡してくれた。

 

 

     英子は涙をこらえながら、その箱の周りに丁寧に結ばれた、真っ赤なリボンをほどき始めた。

 

                                                                                                                               了

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